●能楽とは、室町時代より狂言と共に600年以上演じ受け継がれてきた芸能。
●独自の様式を持つ能舞台に能面を用い、舞(まい)の演技と謡(うたい)と囃子(はやし)による高要素を融合させた、日本を代表する仮面音楽劇である。
●日本の伝統芸能と知られ「能」や「狂言」は、14世紀室町時代初期に成立されたもので、両者を合わせて「能楽」と呼ばれている。
●能は、歴史や古典文化を題材として、歌や舞を中心に構成され、人間の運営を描くことを主題として表現されている。
●一方、狂言は「笑い」を基調として対話劇で、庶民の日常や民間説話を素材として、普遍的な人間像をユーモアを交えて表現されております。
●能によく出てくる言葉
「シテ」:能における主役
「ワキ」:シテの相手役
「地謡」:謡(うたい)を合唱する方
「はやし」:楽器を演奏する方
◎能楽は重要無形文化財に指定され、ユネスコ無形文化遺産に登録されております。
≪能楽の歴史≫
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南北朝・室町時代
●南北朝時代から室町時代にかけて、雑芸であった猿楽から歌舞中心の楽劇が発達して「猿楽の能」と呼ばれ、将軍足利義満の時代、観阿弥、その長男の世阿弥父子らの天才の出現により芸能として完成しました。
鎌倉時代後半には、多くの寺に所属した猿楽の座が能という新しい歌舞劇を上演することになります。
南北朝時代には大和(やまと)猿楽と近江(おうみ)猿楽が大きな存在となりました。
なかでも、奈良の興福寺に属した4座①円満井(えんまい)座②坂戸(さかと)座③外山(とびざ)④結崎(ゆうざき)座が現在の金春(こんぱる)座・金剛(コンゴウ)・宝生(ほうしょう)・観世(かんぜ)が基となっております。
謡をうたいながら、囃子(はやし)に合わせて演じるシテ(主役)中心の舞楽で、多くは仮面をつけ、きわめて様式化したものです。 -
江戸時代
●秀吉の没後、征夷大将軍となった徳川家康も能を保護しました。
徳川家康は幼少期から観世流を親しんだが、三代将軍家光時代に大和猿楽の四座は徳川幕府の直属の芸能となり喜多流が新たに認められた。
以来 四座一流が幕府の「式楽(儀式用の芸能)」と定められました。
この四座一流には大夫職が設けられ、能の中心は江戸に移って能役者の生活も安定していきました。
町人の間に謡本が普及したことによって、「謡」が全国的に広まりました。
江戸時代は、武士道精神と技法の錬磨に努力が傾けられ、謡いの音階やリズムの法則、演出様式がほぼ固定するものの時代であった。 -
近 代
●明治維新で徳川幕府の崩壊により能に致命的な打撃を与えた、しかし外国の芸術保護政策の影響を受け、国の伝統芸術の必要性を痛感した政府や皇室の能愛好家や新興財閥の後援などによって、能楽は息を吹き返したのであります。
その後、第二次世界大戦後の混乱期にも、大きな打撃を受け存亡の危機となりましたが、多くの人々の懸命な努力によって支えられ、よみがえり、日本を代表する古典芸能として、今では海外からも高い評価を受け今日に至っております。
単に「能」とも称し、「能楽」の呼称は明治以後に用いらました。
また、広義には、狂言を含めることもある、現在は、観世・宝生・金春・金剛・喜多のシテ方五流のほかに、ワキ方三流(下懸宝生・高安・福王)、狂言方二流(大蔵・和泉)、囃子方一四流(笛方三流、小鼓方四流、大鼓方五流、太鼓方二流)があります。
